1. おわりのはじまり

真っ黒な夜空に浮かんだ大きな月が、妖しく地上を照らすある春の夜。もう少しで満月を迎えそうなそれは、手を伸ばせば届くのではないかと思うほど大きく見えた。夜は好きなほうだが、この街の夜はどこか不気味だ。
 今日から暮らすことになっている寮は、巌戸台の駅から歩いてすぐの場所にある。事前にそう聞かされていたものの、こんなに暗いと流石に不安だ。

「うわ、なにこれ」

 駅を降りて広場に出てすぐ目に入る、棺桶のような形をしたモニュメント。それも一つや二つではなく、群れを形成するかのように佇んでいる。その様子は、不気味を超えて怖いぐらいだ。
 ここはどういう方向性で街づくりを進めているのだろう。学生が多く住む平和でよい街だと聞いていたが、目の前に広がっている景色はどちらかというとチープなホラー映画のようだ。
 時間を確認しようと携帯を開いても何故か電源が落ちていて、ますます恐怖心を煽られる。念のため地図を印刷してきてよかった。月の光で目的地の場所をもう一度確かめた後、私はリュックの紐をぎゅっと握ってその場から駆け出した。
 しばらくすると見えてきた、そこそこ古そうな大きな建物。「巌戸台分寮」と看板がかけられているので、ここが目的の場所で間違いないだろう。想像していたよりもずっと大きな寮だ。

「……失礼しまーす」

 門限を過ぎてしまったのだろうか。月明りを頼りに暗い室内に足を踏み入れると、入ってすぐの場所に人が立っていたから驚いた。

「うわっ!」

 思わず叫び声を上げると、目の前の相手が驚いたように振り返る。

「……?」
「あ、すみません!この寮の、」

 深い海の底のような青い瞳。その瞳に射抜かれた瞬間、私の身体に雷に打たれたような震えが奔った。比喩ではなく、静電気が何倍にもなって身体の中心で弾けたような感覚。同時に安心感と懐かしさ、そして少しの寂しさが入り混じったような不思議な気持ちがじわじわと広がっていく。
 私はこの瞳を、その持ち主を知っている。口では上手く言い表すことができないその感覚を覚えたのは私だけではなかったようで、青い目をした男の子は不思議そうに首を傾げて口を開いた。

「君、どこかで……」
「ようこそ。遅かったね。長い間、君たちを待ってたよ」

 その問いかけを遮ったのは、私でも目の前の男の子のものでもない第三者の声。驚いて声の明日方向に目をやれば、小学生くらいの男の子が微笑みながら私たちを見つめていた。
 色素の薄い髪に、まるで囚人服のようなボーダーの服。こんな子供がこの時間のこの場所に一人でいるなんてどう考えてもおかしいのに、不思議と恐怖は感じない。

「あ、ごめんなさい。電車が遅れて……連絡しようにも携帯通じひんし」
「フフ、いいんだ。こうやって僕たちはここで出会えたんだから」
「……はあ、」
「この先へ進むなら、ここに署名をして。一応、「契約」だからね」
「契約……?」
「怖がらなくていいよ。ここからは、自分の決めた事に責任を取ってもらうってだけだから」

 暗くて手元がよく見えないが、寮の契約書ということだろうか。差し出されたカードは「我、自ら選び取りし、いかなる結末も受け入れん」と書かれた下に署名の欄があるシンプルなものだった。随分変わった言い回しだ。この寮では全てが自己責任です、ということでいいんだろうか。
 戸惑いながらチラリと隣の男の子に目をやると、彼は少し考えこむような素振りを見せたあと大人しくペンを手に取った。特に細かい規定もないようだし、裏返しても何も書かれていないし。これがこの寮のスタイルなら仕方がない。私は意を決して署名の欄に自分の名前を書き、目の前の少年に手渡した。

「……確かに。時は、誰にでも結末を運んでくるよ。たとえ、耳と目を塞いでいてもね。……さあ、始まるよ」
「始まるって、何が……」
「誰!?」

 ここでは人の話を遮るのが流行っているんだろうか。どこか緊迫した様子の女の子の声に、質問の言葉を呑み込んで振り返る。

「あなたたち、この時間にどうして……?もしかして、」
「待て!」

 続いて聞こえた鋭い声。同時に突然建物の中が明るくなって、反射的に目を細めた。パチパチと何度か瞬きをすれば、少しずつ目が慣れてくる。
 ソファーなどが置かれた広い部屋の中央からこちらを見ていたのは、ピンク色のカーディガンを着た女子生徒と、その肩に手を置く赤い髪の女子生徒だった。二人の立ち位置から推測するに、静止の声をかけたのはおそらく後方の赤髪の女子生徒の方だろう。

「あの、遅くなってすみません、電車が遅れてしもて」
「二人とも巻き込まれるなんて災難だったね」
「あの、桐条先輩……」
「ああ、紹介しよう。彼らは今日からしばらくこの寮に滞在することになっている転入生だ」
「あれ、自分も転入生やったん?」
「……ああ」

 あまりよく喋るタイプではないのだろうか。隣の男の子は目の前で行われているやり取りをぼんやりと眺めている。

「私、有里海慧です」
「……有里湊」
「え!?同じ苗字やん!」
「その……二人は知り合いじゃないの?」
「全然!今日が初対面」
「なんだ、私てっきり兄弟か何かだと思ってた……苗字だけじゃなく、何か雰囲気も似てるし」

 そうかなあ、と湊のほうをみると、同じようにこちらを見つめる湊と目があって笑ってしまう。
 岳羽ゆかりと名乗ったピンク色のカーディガンを着た女子生徒は、私と湊と同じ二年生。赤髪の女子生徒の方は一つ上の先輩で、桐条美鶴というらしい。

 改めて話を聞いていると、ここは他の寮とは違って男女混合で、私と湊は学校側の都合で急遽この寮が割り当てられたようだった。大きな寮なのに静かなのは、そもそも住んでいる人が少ないから。「準備ができ次第二人には男女別の寮に移ってもらう」と言われたことを思い出し、空き部屋があるのに?と訪ねたが、曖昧に濁されてしまった。大人の都合、というやつだろうか。

「そういえば、さっきの書類……」
「書類?」
「はい。カウンターで男の子が、ってあれ?」

 どうやらこの寮のリーダー的存在であるらしい美鶴に先程の書類を渡しておこう、とカウンターのほうを振り返って、驚いた。そこにはあの少年の姿どころか、私と湊が署名したカードすら残されていなかったからだ。

「ちょっと、やめてよ……私そういう話ダメだから」

 眉間に皺を寄せたゆかりに軽く睨まれて、助けを求めるように湊に視線を送ったが、彼も何が起こっているのかは分からないようで首を竦められてしまう。本当にお化けの類だったんだろうか。署名を求める幽霊なんて聞いたことがない。しばらく考え込んでいたが、美鶴の「疲れているんだろう……今日はもう遅い、ゆっくり休むといい」という言葉によってその場はお開きとなった。

 ゆかりに案内されて辿り着いた自室は、三階の一番奥にあった。ちなみに男女でフロアが分かれているようで、湊は大きなあくびをしながら二階の一番奥の部屋に入っていった。

「あなたの部屋はここ。私はあっちの部屋だから、何かあったら声かけて」
「うん。ありがとう。夜遅くにごめんね」

 部屋の中には、事前に送っておいたスーツケースが一つ。元々私物は少ないほうなので大した量ではないが、今日はもう片付けをする気力は残っていない。幸い備え付けのベッドには新しいシーツが敷かれていて、眠るだけなら困らなさそうだ。
 
「あのさ、今日ここに来るまで……その……大丈夫だった?」
「……大丈夫、っていうのは……?」
「ううん、なんでもないの。気にしないで。おやすみ」

 何が、と問いかける前に、その会話は困ったように微笑むゆかりによって打ち切られてしまった。美鶴もゆかりも、さっきから微妙に遠慮がちな言い方ばかりで気になる。でも新しく来たばかりの人間には分からない事情もあるのだろうなと自分を納得させて、「おやすみ」とゆかりに微笑んで自室の扉を閉めた。

 ずっとこの寮にいるわけではないが、転入前に顔見知りができたのはありがたい。それにしても今日は疲れた。背負っていたリュックを床に放り投げ、スーツケースの中から寝巻用のTシャツとショートパンツを引っ張り出す。お風呂は明日の朝でいいや。とにかく今日は早く寝よう。だらだらと寝巻に着替えてベッドに倒れ込むと、すぐに睡魔が襲ってくる。

「時は、誰にでも結末を運んでくる」

 目を閉じる前、あの少年の声が聞こえた気がした。








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