黒羊咩咩 / kokuyoh meme

見えない美食家と蜂蜜クッキー

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Twitterで呟いていた「一日の終わりに部屋で一人になったときに「イーサン、いるんだろ」と言うとバツの悪そうな顔をして姿を現すイーサンが可愛くて毎日やるけど勝率五割。イーサンのほうもたまに呼ばれても姿を現さなかったときのドクターの恥ずかしさと寂しさが混ざった表情が面白くて時々息を殺してる」感じの仲。
ドクターの性別は未設定ですが、角と尻尾があります。



 未だ慣れない自室のベッドに腰を下ろして、溜息をひとつ。爆風と熱で乾いた瞳をぎゅっと閉じれば、私の名を呼ぶアーミヤの憔悴しきった顔が脳裏に浮かぶ。
 私は一体どうすればよかったのだろう。そもそも今の私にできることなどあったのだろうか。

 深く眠っていたところを突然叩き起こされたあと、己が誰かも分からないまま隊を率いてロドスの拠点ここまでやってきた。私は鉱石病研究の第一人者として知られるドクターで、過去にもこうして戦場で指揮を執っていた、らしい。らしいという曖昧な言い方しかできないのは、以前からの顔馴染みだというアーミヤやケルシーたちと言葉を交わしてもなお、なにも思い出すことができないからだ。
 チェルノボーグの街で武装したレユニオンの兵士たちに囲まれたとき、私は確かに「指揮官」だった。どのような陣形を組み、どのオペレーターをどこへ動かせばいいのか。そんな知るはずのない大量の情報が、一瞬にして脳内に溢れてきたから。
 結果として、あの日の戦いは成功に終わった。作戦目標はチェルノボーグからのドクターの救出。私はドクターをあの恐ろしい街から救い出すために作戦の指揮を執り、決して少なくはない犠牲を出しながらも無事に脱出を果たした。
 ロドス本艦に到着してから数日経ったあと、私を救出するためにどれだけの戦力が投入され、どれだけの命が喪われたのかを調べた。知って何かが変わるわけでも、犠牲者たちの命を背負う覚悟があったわけでもない、ただの独り善がりエゴ。顔すら知らぬ者たちの名前が並ぶ、一枚の紙きれ。ドクター一人のためにこれだけの命をかける価値はあったのだろうか。ぼんやりとしたデスクランプの明かりに照らされたその文字列を見ても、涙は出なかった。元々そういう性分なのかとも思ったが、目の前の現実にまだ心が追いついていないだけかもしれない。

 あの日を境に、私にとっては全く新しい生活が始まった。最初こそ、自分よりはるかに幼いオペレーターたちを率いて戦場に赴くことに抵抗があった。しかし私たちロドスには戦力を選り好みしている余裕はなく、なにか一つ問題を片付けたと思えばまたすぐに新たな危機に直面する。そんな命懸けの戦闘続きの毎日は私からじわじわと理性を奪っていき、子供たちの力に頼らざるをえないことへの言い訳を考える隙を与えた。
 「あの子たちだって自ら志願したんだ」とか、「これは皆が生き残るための戦いなのだから仕方がない」とか、「誰も欠けることのない指揮を執ればいい」とか。自分の置かれたこの状況を正当化するための言い訳なら、いくらでも思いつく。ここは戦場で、私は生き延びなければならないから。

 今日、アーミヤが敵の命を奪った。私を守ろうとした彼女が無我夢中で動いた結果、それは起こってしまった。勿論、私たちが「ごっこ」ではない戦争を行っている以上それ自体は珍しいことではない。職務として。生き残るため。己の信念を突き通し、大切なものを守るため。人によって理由は様々だが、ロドスに来る以前に誰かを殺したことがあるというオペレーターも少なくはない。そして今私たちが身を置いているのは戦場だ。対話で解決できなければ。相手が投降しなければ。……当然、武力で解決することになる。そのことはアーミヤも理解している。彼女は心優しい少女だが、ロドスを支え率いるリーダーでもあるからだ。
 しかし今日、アーミヤは目に見えて動揺し、敵前で戦意を失った。

「――どうして、」

 殺したはずの敵――スカルシュレッダーが再び現れ、そのマスクの下に一度心を通わせた少女ミーシャの姿を見たとき、アーミヤは攻撃の手を止めてしまった。それは、これまでどんな逆境でも私を励まし、守り続けてくれた彼女が初めて見せた「弱さ」だった。
 そして大変情けないことに、私はそんな彼女を前にして何もできなかった。震える彼女の手を握ってやることも、チェンのように汚れ役になる覚悟で現実を突きつけることも。ただその場に立ち尽くし、小さな背中と元気なく垂れた長い耳を眺めることしかできなかったのだ。
 ボロボロのオペレーターたちと共にロドスの拠点に戻ってきたあとも、私はアーミヤにかける上手い言葉を見つけることができないばかりか、逆に彼女に気を遣わせてしまう始末。
 記憶がないことが原因ではない。私はあまりにも未熟で、甘かった。

「……イーサン、いるんだろ」

 がらんとした部屋に響くひとりごと。ベッドに寝転がったままキョロキョロと部屋の中を見回してみても、お目当ての姿は見えない。

「……あー……このクッキーも一人じゃ食べきれないなー……折角焼き立てなのになー……」

 ゴホンとわざとらしく咳払いをしてから、アーミヤに渡すことができなかった二人分のクッキーを見つめて話を続ける。

「誰か一緒に食ってくれないかな。美味しい青ブドウのワインも手に入ったんだけどなあ」

 相変わらず静かな部屋。当てが外れてしまったのだろうか。そう思い始めると、自室で一人虚空に向かって話しかけていることが急に恥ずかしくなってきて身体を起こす。

「そういえばたびたび執務室からお菓子が消える件について、ドーベルマン教官に……」
「……あんたさあ、それはもう脅迫だって」

 どこからともなく聞こえた溜め息交じりの声と、目の前で浮遊する一枚のクッキー。それが空中で消え去るのと同時に、鮮やかな水色の髪を撫でつけるように額に大きなゴーグルをはめた浅黒い顔が現れた。

「お、生首」
「よぉドクター。一応鍵は閉めとけって言っただろ?」

 私が瞬きをしている間に、頭の先からそのくるんと巻かれた尻尾の先まで見事に姿を現した男。自身の体表の色を変えて身体をその場に馴染ませることで姿を消すことができる彼、イーサンと初めて自室で鉢合わせた日の驚きは、今でも覚えている。イチかバチかで声をかけてみたが、今日は予想が当たったようだ。先日は彼がいないのにも関わらずしばらく一人で虚空に向かって語りかけ続けてしまい寂しいやら恥ずかしいやら複雑な気分になったので、素直に嬉しい。

「今日は来るかなと思ってたんだ。クッキー持ってたし」
「その言い方だと食べ物に釣られたみたいじゃねえか」
「釣られてないの?」
「釣られた」

 蜂蜜がふわりと香り、ベッドの隣が軽く沈む。まるで自分の部屋であるかのように寛ぎはじめるイーサンに「零すなよ」と釘を刺せば、口いっぱいにクッキーを頬張ったまま「へーへー」と返ってきた。

「あんま食欲ないし、全部食っていいよ」
「おっ、悩みでもあんのか?」
「うーん、今日さあ、」

 いつも通り真面目に聞く気があるのかわからない、ひょうひょうとした調子で返ってきた言葉に返事をしようとして口を噤む。これはアーミヤ本人ですらまだ上手く言語化できず、向き合っている最中の問題だ。それを私が軽々しく口にするのは間違っているのではないだろうか。

「なーんか何で自分はこの世界に存在してんのかなって」
「哲学か?」
「ちげーよ。……それぞれが己の選択の責任を取らなきゃいけないって話をしてさ」
「おう」
「自分はそれができてんのかなって。こう……みんなに手を汚させて、自分はぬくぬくと守られてるだけじゃないかなって……思って……」

 私は自ら指揮官になることを選んだわけではない。昔の私がどうだったかはわからないが、今の私が指揮官をやっているのは周りにそう頼まれて、やってみたら思いのほか上手くできてしまったからだ。そして私はオペレーターたちを危険な前線に送って戦わせ、自分は後ろで見ているだけ。私が成功すればオペレーターたちが誰かを殺めることになり、失敗すればオペレーターたちが死ぬことになる。こんな風にろくに己のこともわからない奴が他人の命を背負ったつもりになるのは、不誠実だ。

「……前に言ったろ? あんたはすごいって」

 イーサンの薄グレーの瞳が一瞬私を見て、またすぐに逸らされる。

「それにあんたはあの作戦のあと、尻尾を巻いて逃げることもできたはずだ」

 サクサクとクッキーを咀嚼したあとボソッと「あんたの尻尾は巻くほどの長さねえけど」と続けるのが聞こえたので脛を軽く蹴ってやれば、「イテッ」と大げさに痛みを訴える声が聞こえた。

「あんたはちゃんと自分の足で立ってるし、十分よくやってるよ」

 静かな声。照れ隠しのように慌ててクッキーを頬張り始めたイーサンの横顔をじっと見つめると、太い尻尾でドスっと背中を打たれる。

「まぁ、どうにもならなくなったら逃げればいいんじゃねえの?」
「……そのときは一緒に逃げてくれるわけ?」
「……いやー、俺一人のほうがうまく逃げられるしなあ」
「そこは嘘でも逃げるって言えよ~」

 この薄情者、と文句を続けようとした口の前に差し出された、蜂蜜クッキー。仕方ねえなと呟きながら齧りつけば、蜂蜜の芳醇な香りと共に自然な甘さが口いっぱいに広がる。
 いつの間にか蜂蜜の香りが充満した室内とは対照的に、私の頭は少しだけスッキリしていた。この聞き上手の友人にお礼を言えばまた揶揄われること間違いなしなので、絶対に口には出さないけど。





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