黒羊咩咩 / kokuyoh meme

返事はいらない

Caption

 (160505) #冨樫夢ワンライ ( @togashi_dream ) 『返事はいらない』



 一人用のコンパートメントの中で少し硬いソファーに身を任せ、窓際の小さなテーブルで頬杖をつく。車内との温度差で曇った窓を打つ大粒の雨は、霙が混じり始めたのか先程よりも大きな音を立てて降り注いでいた。
 昔からひとところに留まるのが苦手だった。仕事で数週間同じ町に滞在することがあると必ずと言っていいほど悪夢を見たし、新しい土地を訪れるたびに向けられる余所者に対する無遠慮な視線にひどく安心した。そんな私が半年も同じ場所に留まることになったのは間違いなくあの男のせいで、その半年の間悪夢を見ることがなかったのもまたその男のお蔭だった。

「あー……その、なんだ。おはよう?」
「……誰?」

 仕事でミスを連発し気分転換にと訪れた寂れたバーで見知らぬ男と意気投合し、それこそ浴びるほど酒を飲みそのまま一緒に借りていたアパートへ帰ってなだれ込むようにセックスをした。らしい。一応私の貞操絡みの重大な問題なのにも関わらずらしいという曖昧な表現しかできないのは、男も私もその晩の記憶を一切失っていたからだ。しかし顔を顰めたくなるほどの頭痛に襲われながら目を覚ますと隣に知らない裸の男がいて、自分も同じように生まれたままの姿でいたならば恐らく考えられる可能性はそう多くないだろう。
 男の名前はノブナガといった。幸か不幸か私と同じように念能力者であるらしい彼は、艶やかな黒髪をかき上げて困ったように笑うと寝ぼけ眼で自分を見つめる私に目覚めの挨拶をした。先に目が覚めたのにも関わらず私が起きるのを待っていたことからも分かるようにノブナガという男は妙に律儀で、どうにも人間臭かった。
今更隠すものでもないだろうと狭い浴室で一緒にシャワーを浴びながら話をしているうちにノブナガも仕事でこの町を訪れていることを知り、なおかつ昨日私と全く同じ理由であのバーを訪れ酒を飲んでいたことを知った。
「コーヒーでいい?」
「お、悪いな」

 そう問いかけながら脱ぎ散らかした服を洗濯機に放り込みタオルを身体に巻いて台所へと向かうと、数秒経ってから「俺が言うのもなんだがもうちょっと恥じらったほうがいいんじゃねえか?」という呟きが聞こえた。トースターに薄切りにしたバケットを放り込み、ほとんど空に近い冷蔵庫の中から卵とハムの残りを取り出しオリーブオイルをひいたフライパンを火にかける。思えば誰かと一緒に食事をするのは随分と久しぶりだった。
 当たり障りのない会話を続けるうちに気付いたのは、ノブナガがかなりの手練れであるということ。恐らく彼は私よりもずっと強い。念能力者としても、一人の武闘家としても。ソファーの上に無造作に置かれた細長い刃は、私が思っている以上に沢山の血を浴びてきたのだろう。

「今日、仕事は?」
「今週は様子見だな」
「そっか」
「お前は?」
「私も今週は休み」
「……その割に随分と嬉しく無さそうだな」
「今週中にこの町を出るつもりだったから」

 こんがり焼けたバケットにハムと目玉焼きを乗せてノブナガの前へと差し出し、「醤油ねえか?」という問いかけに黙って首を振る。

「ずっと同じ場所にいると、その土地に呑まれてしまうような気がするんだ」
「呑まれる、ねえ」
「その場所の一部に組み込まれてしまうのに本当はそこに私の居場所なんてない、みたいな」

 表情の無い仮面をつけた人々が闊歩する無機質な街で立ち竦んだ瞬間、そこら中から伸びてくる黒い蔓が私の身体を捕らえる。いくら叫び声を上げ助けを求めても私の声に振り向く人などいなくて、私はいつも古い石像のように蔓の波に飲み込まれていく。きまってそんな夢を見るのだ。少しでも同じ場所に留まると、必ず。それが私の念能力のせいなのか、単に個人的な体質なのかは分からない。原因はなんであれ、私はこの変わった夢に苦しめられいつも眠い目を擦りながら各地を転々としていた。

「でも今日はすやすや寝息立てて寝てたぞ」
「記憶を無くすぐらい飲んだからじゃない?夢見る元気もなかったわ」
「もしくはあいつのお蔭かもな」

 コーヒーにミルクをたっぷり入れながら、ノブナガはソファーの上に転がる自身の刀に目をやった。

「なに、なんかそういうスピリチュアルなアレなの?」
「いやあ、そういうわけじゃねえけどよ……俺の国じゃ刀は魔除けに使われんだ。悪夢ぐらい斬れるかもしんねえだろ」
「なにそれ、じゃあこの休みの間うちに置いといてよ」
「馬鹿、あれは俺の身体の一部だぜ?赤の他人にホイホイ預けられるかよ」
「赤の他人とホイホイ寝たじゃん、アンタの本体」

 軽口を叩きながらバケットのかけらを口に放り込み、コーヒーで流し込む。

「服、乾燥機にかけてるからあと30分ぐらいで乾くと思う」
「それまでずっとこの恰好かよ」
「男物の服なんてあると思う?うら若き乙女の部屋だよ、ここ」
「風邪引いたらどうすっかな」
「……なに、誘ってんの?」
「しばらく魔除け引き受けるなら報酬が必要だろ?」
「どうでもいいけどすっごい親父臭いよその言い方」

 っていうかここに居座る時点で家賃と生活費はこっち持ちじゃん。そう文句を言うと、流し台に食器を片付けたノブナガは大仰に肩を竦めてひょいと私を抱き上げた。おお、これが噂のお姫様抱っこか。一般女子より筋肉質なぶん体重も重いし下手な男より強い身としては、まさかお姫様抱っこされる日がくるとは思っていなかった。なるほどこれは中々いい気分だ。見た目よりも逞しいノブナガの腕をぺちぺちと触りながら「仕方ない、しばらく雇ってあげよう」と偉そうに言ったところでベッドに到着し、私とノブナガは再びシーツの海へと沈む。
 最初は休みの一週間だけのはずだった。七日目の朝いつものように朝ご飯を食べてからうちを出て行ったノブナガは、大きな布に包んだ自分の荷物を持って何食わぬ顔でその日の夜我が家の戸を叩いた。
 お互い必要以上には干渉しないものの、時間があえば共に食事をし小さなベッドで肌をあわせた。一度ノブナガの下着であるフンドシを雑巾代わりに使ってしまったこと以外では特に喧嘩することもなく、最低限の食材とビールしか入っていなかった我が家の冷蔵庫には今まで見たこともない魚や野菜が並ぶようになった。
 最初は全く信じていなかったのだけれど、もしかしたら本当にノブナガの刀はスピリチュアルなアレなのかもしれない。彼がうちで暮らし始めてから、私が例の悪夢をみることはなかった。

「明日からしばらく帰って来れねえわ」
「分かった。荷物はどうすんの?持っていく?」
「邪魔じゃなかったら置いといてもいいか?土産にいい酒買ってくる」
「観光にでも行くわけ?美味しい赤ワインをお願いします」
「飲む気はあるんだな」
「当たり前じゃん」
 季節が移ろい少し肌寒くなってきた朝。いつもより少し早くベッドから抜け出て手慣れた様子で髪を結うその背中を、私はぼんやりと見送った。

 その夜、私は夢を見た。人混みを歩いているとノブナガの特徴的な後姿を見つけ、声を掛けようと手を伸ばす。するとその手はノブナガの身体をすり抜け、彼はそのまま遠くへ歩いて行ってしまう。

「ノブナガ」

そう呼びかけた声はその背中には届かない。ずぶり。立ち止まった私の周りで、地面から黒い蔓が生えてくる。逃げなきゃ。そう思っても身体は動かず、黒い蔦は私の足に、腕に、首に絡みついて来る。まただ。また、呑みこまれる。

「……ッ」

 半ば飛び起きるように目覚め、荒い呼吸を整える。長い夢を見ていたらしい。ここは電車のコンパートメントの中で、私はあの恐ろしい街から遠ざかっている。大丈夫。また今までの生活に戻るだけ。
 ノブナガとの約束は守れなかった。ノブナガが出て行ったあの夜、久しぶりにあの夢を見た私は目覚めてすぐに部屋を片付け、その日のうちに街を出た。行き先は決まっていない。どこか知らない街へ行きたかった。
 待っていると言った以上黙って出て行くのは忍びなかったが、そういえば私はノブナガの電話番号を知らない。電話番号どころか、私は彼についてなにも知らなかった。
 しかたなく随分前に買ったきりになっていた絵葉書を使って手紙を書くことにした。手紙を書くなんて久しぶりで、迷いながら書いた文字はお世辞にも綺麗とはいえない。表面は日の沈むこの街の港の写真で、いつかノブナガと一緒に見たその景色を思い出して少し泣いた。
 知らない間に私の心の中でノブナガの存在は随分と大きなものになっていたらしい。それがとても恐ろしいことだと分かっていたのに、私はあの心地よい生活に身を委ねてしまっていた。普通の暮らしなんてできるわけがないと分かっていたのに。永遠なんて存在しないのだ。人はいつか死に、それでも回り続ける世界に呑まれて消えていく。人は忘れる生き物だ。誰かとずっと一緒にはいられない。
 その時ガラッと音を立ててコンパートメントの扉が開き、顔を上げた私はそのまま動けなくなってしまった。

「相席いいか?」
「なんで、」

返事も聞かずに室内へ入って来たのはノブナガで、彼は長い髪をかきあげながら私の正面の席へ腰を下ろした。

「……仕事は?」
「終わったよ」
「どうやってここまで、」
「ツレに人探しが得意なヤツがいてな」
「……なんで、」
「どっかのバカが寂しがってるだろうから休暇がてら小旅行だ」

 そう言ってノブナガが取り出したのはあの絵葉書。彼が指を差した「返事はいらない」という最後の一文は、私の涙で不格好に滲んでいた。

「……バカじゃないの」
「言い逃げするバカには言われたくねえな」

 ノブナガは笑いながら手に持っていた紙袋を私に向かって放り投げた。慌てて受け取ると、その中身は私の好きな赤ワインで。ラベルのウサギが滲んで見えて、私はもう一度「バカじゃないの」と呟く。いつの間にか雨は上がり、窓の外には大きな虹がかかっていた。




この作品を共有 

👏waveboxで拍手 💌フォームで感想

読んだよ!報告、感想とても嬉しいです!ありがとうございます!


Page Top ▲