花火
1.
人を好きになるということが、私には今一つよく分からない。たかだか十八年生きてきたぐらいで将来を誓い合ったり、喧嘩したからって声が枯れるまで泣き続けたり。人の気持ちなんていずれ変わるものなのに、みんなそれに一喜一憂してる。私にだって今までいわゆる彼氏と呼ばれる相手はいた。サッカー部の佐藤くんとか、軽音楽部の水谷くんとか。「前から可愛いと思ってたんだ」とか「付き合って欲しい」と言われて、別に断る理由も無かったから付き合うことにした。そして数週間経つとみんな決まって「友達に戻ろう」と言うのだ。別に親しい友達だったわけでもないじゃん、なんて口に出したらややこしいことになるってことぐらいは分かっているから、私は黙って「お友達」に戻る。その繰り返し。私の話を聞いた友人たちは、口を揃えて「あんたは贅沢なの」と言った。「あんたは他人に多くを求めすぎている」と。私に「彼女」という役割を求めてくるのは、いつも相手の方なのに。彼女たちの言うことには、誰かを好きになると心臓のあたりがキュンとして自分ではどうしようもなくなるのだという。悲しかったり嬉しかったりする気持ちと一緒に、ぎゅっと胸が締め付けられるのだと。私はまだ、その痛みを知らない。
2.
私が泉田塔一郎という男と出会ったのは、丁度半年前のことだった。同級生であり従兄弟でもある新開隼人を探して彼の所属する自転車競技部の部室を訪ねたとき、泉田くんは私の従兄弟の後ろから興味深そうに私のことを見つめていた。
「初めまして」
「は、初めまして!」
鍛え上げられた身体とは対照的に女の子が羨ましがりそうなほど長い睫をパチパチと瞬かせて、彼は恥ずかしそうに微笑んだ。
「泉田くんは、隼人と同じ景色が見れるんだね」
そんな風に曖昧な表現でしか語れないほど自転車競技について疎かった私に、泉田くんは色んな事を教えてくれた。そのほとんどは自転車に乗っているときの隼人の格好良さとか、彼の自慢の筋肉の話だったけれど。泉田くんと隼人は、「スプリンター」といって瞬発力と持久力、さらにバランス感覚を兼ね備えた物凄く大切な役割を担っているらしい。とは言っても、一人ひとりが大切なんだとか。難しい話はよく分からなかったけど、私が「自転車競技って独りぼっちじゃないんだ」と言うと泉田くんは一瞬驚いたような表情を浮かべた後またあの照れたような顔で笑った。
3.
箱根学園の校舎が大きいということや、学年が違うこと。さらには部活に集中するために寮暮らしをしていた泉田くんと実家暮らしの私が関わる機会は、あまり無かった。たまに廊下ですれ違ったときに、「こんにちは」と言葉を交わすぐらい。同じ部活の先輩後輩という関係である隼人とは違い、私は単なる部外者だ。夏に行われるというインターハイに向けてどんどん逞しくなっていく隼人と泉田くんを、私はぼんやりと遠くから見つめていた。
「あの、少しいいですか」
そんな泉田くんが校内ですれ違った私を呼び止めたのは、夏休み前が始まる直前だった。以前よりも少しがっしりとした身体つきになった泉田くんは、最初に出会ったときと同じように長い睫をパチパチと瞬かせて、こう言った。
「芦ノ湖の夏祭りへ行きませんか」
「一緒に?」
「ええ」
「分かった」
特に断る理由もないのでそう答えた私を見て、泉田くんはまた少し恥ずかしそうに、でもとても嬉しそうに笑った。
4.
部活もこれといった部活も無くだらだらと夏休みを過ごしていた私がポロリと「芦ノ湖のお祭りに誘われたんだけど」と口にすると、お母さんとお祖母ちゃんは手を叩いて喜び、昔お母さんが着ていたという桜鼠色生地に朝顔の模様が入った浴衣を箪笥の中から引っ張り出してきた。「別に普通の格好でいいよ」と言った私に浴衣を着せながら、お祖母ちゃんは「女の子が自分のためだけに浴衣を着てくれるなんて中々無いことだからねえ、男はみんな嬉しいものだよ」と嬉しそうに目を細めた。そういえば、今まで彼氏はいてもこうやって出掛けたことは無かったなと、ぼんやり思った。お祭りなんて、小学生のときに隼人と一緒に綿あめを買いに行ったきりだ。泉田くんはどうして私を誘ったのだろう。泉田くんも、私と付き合いたいのだろうか。
5.
午後七時三十分。沢山の人で溢れる箱根神社を慣れない下駄で進んで行くと、泉田くんは先に待ち合わせ場所である矢立杉の前で私を待っていた。うっすらと縦縞模様の入った紺地の浴衣に身を包んだ泉田くんは、同じように浴衣でやって来た私をみて目を丸くしてからこの間と同じように微笑んだ。
「遅くなってごめんね。あんまりこんな恰好したことなくて」
「いえ、その……とても素敵です」
いつもハキハキと喋る印象が強い泉田くんが小さな声でそんなことを言うから、私は思わず笑ってしまう。恥ずかしそうにうちわで口元を押さえていた泉田くんは、そんな私につられて笑うと「行きましょうか」と神社のじゃり道を歩き始めた。
「何か食べたい物はありますか?」
「えっと……綿あめとかき氷かな。泉田くんは?」
「たこ焼き、とか」
「私もたこ焼き好きだよ。あそこのお店で買って行こうか」
当たり障りのない会話をしながら綿あめとかき氷、それからたこ焼きを買って駐車場の方まで下りていく。もうすぐ芦ノ湖で打ち上げ花火が始まるせいか、辺りは既に沢山の人でごった返していた。
「泉田くんもたこ焼きとか食べるんだね」
「……ボクも、というのは……」
「ほら、隼人はいつも何か食べてるけど、泉田くんはそんなこと無いじゃない?」
「ああ、そういうことですか」
「新開さんと違って食べたら脂肪がつきやすいので、普段は節制しているんです。本当は大好きなんですよ、たこ焼き」
まるで小さな秘密をばらすみたいにそう言った泉田くんは、ふーふーと冷ましたたこ焼きをパクッと口に放り込んで美味しそうに食べた。それを真似して、私もたこ焼きを口に頬張る。パリッとした外側の生地の中からトロリと出てくる中の生地と弾力のあるたこの足。ジューシーなソースとマヨネーズがたっぷりかかったそれは、夏の暑さにも負けない味わいだった。
「今日はいいの? インターハイ、もうすぐなんでしょ?」
「今日は特別です。それにちゃんとカロリーの計算はしていますし」
「すごいね。私なんて昨日何食べたかも覚えてないや」
「ボクだって、昔はもっとぽっちゃりしていたんですよ」
「隼人みたいに?」
「それ、新開さんが聞いたら泣きますよ……」
お祭りという雰囲気のおかげなのか、美味しいたこ焼きのおかげなのか。ぽつりぽつりとお互い口数が増えてくる。
「花火、もうすぐですね」
「ここで花火見るの久しぶりだなあ。最近はいつも家のベランダから見てたし」
人混みをかき分けてなんとか空いている車止めを見つけた私たちは、まだ暗い夜空を見上げながら少し熱を持ったその石に腰掛けた。先程よりも近付いたお互いの距離に、自然と無口になる2人。花火が始まれば沈黙も気にならないのになと帯に入れた携帯の画面を確認しても、まだ開始まで数分ある。そういえば私たちはお互いのことを何も知らないな。頭が痛くならないように少しずつかき氷を口に運びながら、私はふと、今のこの関係には役割が無いことに気が付いた。直接的な先輩後輩でもないし、彼氏彼女でもない。従兄弟や親戚でもなく、幼馴染でもない。友達というには少し距離があるけれど、他人と呼ぶには近すぎる。
「泉田くんはさ、どうして私を誘ってくれたの?」
「……」
「……泉田くんは、私と付き合いたいの?」
「……えっ!?」
私のその問いに顔を真っ赤にした泉田くんは、視線を上へやったり下へやったりしながら暫く黙った後、食べかけのたこ焼きの皿を置いて私の目を真っ直ぐ見つめた。
「ボクはまだ付き合いたいとか、そういうことを考える余裕がありません」
「うん」
「今はインターハイでチームを優勝に導くことが一番大事です」
「うん」
「ただ、」
そこで一旦大きく息を吸って、泉田くんは言った。
「伊津さん。ボクはあなたが好きです」
真っ直ぐな眼差しに、いつもの照れたような微笑みとは違う、深い優しさを含んだ微笑み。そんな泉田くんから視線を逸らすことが出来ない私を見下ろすように、夜空に大きな花が咲く。ドーンという大きな音に湧き上がる歓声。そんな中でも私には聞こえた。この心臓が、高鳴るのが。私には分かった。私の胸の奥が、ギュッと締め付けられるのが。
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