2. デイジー
遠足中の植物園での出来事を祖母に話したところ、彼女は「よう頑張ったな」と私を抱きしめてからしばらく険しい顔で考え込んでいた。祖母は私に脇差を見せるように言い、それに触れてぼそぼそと「誰か」と話をしたあと黙って私にそれを返した。
あれから一年、私は相変わらず特に仲の良い友達もできぬまま小学四年生の夏を迎えていた。
ある日のこと、学校から帰った私に祖母が仕事についてこいと言った。
それ自体はさして珍しいことではなかったものの、祖母が「あの刀を連れていけ」と言うので私は少し驚きながらランドセルを下ろして押入れの奥から刀の入った箱を取り出しそっと鞄の中に仕舞った。
祖母の仕事は祓い屋である。そう言うと、大抵の場合そんなものインチキであると人は笑う。それでもこの世には実際に「力の及ばぬ何か」に困らされ、祖母に助けを求めてくる人間が存在しているのだ。それも、結構な数。
生まれて初めて祖母の仕事についていったのは、私が小学校に上がる前のことだった。小さな私を危険の伴う仕事に連れて行こうとした祖母に、母がすごい剣幕で詰め寄っていたのを覚えている。温厚な彼女があれほど怒りを露わにしたのは後にも先にもあの時だけだ。入り婿ということで強くは言えないようだったが、あの時は父も祖母に直接異を唱えていた。
それでも私は「お祖母ちゃんと一緒に行く」と祖母の手を取った。心配してくれる両親には申し訳なかったが、私はそうしなければいけないことを知っていたのだ。あの頃からもう、そういったことに心を惹かれていたのかもしれない。それが私個人の性格なのか、はたまたこの身に宿った「力」のなすものだったのかは今でもわからない。
「こんにちは」
「おお、こんにちは。今日は八十ちゃんも一緒なんやねえ」
運転手の加茂井さんに挨拶をし、車の後部座席に乗り込む。加茂井さんは私が生まれる前からうちの運転手をしてくれている人で、友達の少ない私の数少ない話し相手の一人だ。人の良さげなその見た目とは裏腹に実は武道を嗜んでいて物凄く強いと風の噂で耳にしたが、その真相は明らかになっていない。
革張りのシートに身を預けてブラブラと足を揺らしながら、びゅんびゅんと過ぎ去っていく窓の外を眺める。
「着きました」
「裏手に駐車場があるて言うてはったから、そこで待っといてもらえます?」
「分かりました。お気をつけて」
祖母に向かって軽く頭を下げて車に乗り込む加茂井さんに手を振り、祖母の後に続いて歩き出す。目の前に続く長い石段。それを苦ともせずシャンと背筋を伸ばして登っていく祖母の後姿が、私は好きだった。
「ご免ください」
「……ええと、寺井さん……ですか?」
「はい。ご連絡ありがとうございます」
「いえ、こちらこそようお出でくださいました。そちらは……?」
「孫の八十です。若輩者ですが祖母の手伝いをさせて頂いております」
「まあまあ、小さいのにしっかりしてはる……ささ、狭いところですがお上がりください」
「失礼致します」
出迎えてくれたのは、祖母よりも少し若い優しそうな女性。その後に続いて家の奥へと進みながら、失礼にならない程度に辺りを観察する。
女性の話によれば、築五十年ほどの町家を最近リフォームしたらしい。古い木造の平屋を直し直し住んでいる身としては、羨ましい限りである。昔の趣をそのままに、中は綺麗に住みやすく。人も物も定期的にきちんとメンテナンスをしてアップデートしなければ、ただ朽ちるのを待つだけだ。
ちなみに八十というのは私の別名のようなものだ。
よくお伽噺なんかで「真の名を知られると魂を取られたり支配される」なんて話があるように、「名前」というのは一番短い「呪」だと言われている。
例えば寺社が授けるお守りやお札。あれらは神様の名前が記されて初めてお守りやお札としての力を持つ。人を呪う際人形に相手の名前を書くのも同じ理由。名は人が生まれて初めて受ける祝であり、呪いでもあるのだ。
だから祖母や私のように「力」を持つ者は、生まれたときに別の名前を授かる。それが私の場合は「
広い家の中はシンと静まり返っていて、私たち三人の足音以外に聞こえるのは開け放たれた窓から入って来る外の音ぐらいだ。特にこれといって変な気配もせず、内装が今風になっている分綺麗な家だなあといった印象を受けた。
「どうぞおかけください」
勧められるままにソファーに座り、奥の部屋へと入って行った女性をじっと待つ。
しばらくしてお盆にお茶と桜餅を乗せて戻って来た女性からそれらを受け取り、お礼を言いつつ温かい緑茶で喉を潤す。美味しい。ほっとする味だ。
「それで、お話いうんは……」
「それが……」
私が遠慮なく桜餅を頬張っている間に、祖母に促された女性がポツリポツリと静かに語り始めた。
事の発端は先月女性の母親が亡くなったことらしかった。生前は花道の師範として現役で世界中を飛び回っていたという女性の母親が、突然体調を崩してから半年。最期は生前の逞しさが嘘のようにやせ細り、原因不明の高熱で苦しみながら亡くなったそうだ。
そして通夜、葬儀を終え少し気持ちが落ち着き始めた女性が母親の遺品を整理していたところ、「それ」が出た。
「あれは間違いなく母の手でした」
母親が気に入っていた薄紫の友禅。女性が手つかずだった桐の箪笥を整理しようと部屋に足を踏み入れたところ、衣桁に掛けられていたその着物から細く白い腕が伸び出でガリガリと箪笥の表面を引っ掻いていた。
驚いた女性が悲鳴を上げるとその手は何事も無かったかのように消えてしまったが、その手が引っ掻いていた部分には傷痕と共に血のような跡が浮き出ていたという。
それから部屋の傍を通るたびにガリガリと引っ掻く音が聞こえ、近くの神社にお祓いもしてもらったが一向に音が鳴りやむことは無く。それどころか今度は女性が体調を崩すことが多くなり始め、これは何かの呪いなのではと半ばノイローゼ気味になりながら知り合いに相談したところうちの噂を耳にしたというわけだ。
「あれ以来怖くてあの部屋には入っていません」
「お部屋を拝見しても?」
「はい、こちらです」
震える声でそう言いながら女性が案内してくれた先には襖で締め切られた部屋が。部屋の前には塩が盛られ、引手の部分に何枚ものお札が貼られている。
ガリガリガリガリ
部屋の前に付くと部屋の中から聞こえてくる、何かを引っ掻くような音。
「ひっ」
「危険があるかもしれません、居間で待っておいて頂いても大丈夫ですよ」
「……すみません」
ハンカチを握り締めながら私と祖母に向かって深々と頭を下げた女性は、心配そうな表情のまま来た道を戻っていく。その間も部屋の中から聞こえるガリガリという音は鳴りやむ様子をみせない。
「八十、開けるえ」
「分かった」
二言三言小さく呟いた祖母がそっと襖に触れると、はらりとお札が板張りの廊下に落ちる。それにしても盛り塩にお札なんて、祓うというよりむしろ閉じ込めることを目的としているようだ。部屋の状態に違和感を感じながら開け放たれた襖の先に目をやって、私は驚いた。
「この部屋、嫌や」
「分かるか。あの手やないな……問題は箪笥の中や」
そこでは確かに美しい薄紫の友禅から白い腕が伸び、ガリガリと桐の箪笥を引っ掻いていた。しかしその腕自体に害意は全く感じられない。しかし問題は、その腕が引っ掻いている段からじわりじわりと漏れ出るどす黒い気配だった。
「あの脇差持ってきたか」
「うん」
「一応持っとき」
「お祖母ちゃんは?」
「私は大丈夫や」
私が言われた通り脇差を取り出し握り締めたのを確認し、すたすたと箪笥の方へと歩いて行く祖母。そこに怯えや戸惑いは一切なく、私はドキドキしながらその後に続いた。
私たちが現れてからもしばらくガリガリと箪笥を引っ掻いていた白い腕は、祖母が箪笥に手を触れると煙のように姿を消す。
「これは……」
腕が消えるのを確認してから特に引っ掻き傷が深い段を引き出した祖母が眉を顰めた。
箪笥を開いた瞬間から流れ出てくる重苦しい気。その元を辿ると、そこにあったのは黒い平紐の帯留めだった。並々ならぬ瘴気を発するその帯留めを見て、祖母は懐から清めた水と塩を混ぜたものを取り出すと勢いよくその帯留めに降り掛け、九字を切って言葉を紡ぎ始める。
「これはよくないねえ」
「うわ!」
そんな祖母の様子を真剣に見つめていた私の頭上から降って来たそんな声に、私は心臓が飛び出そうなほど驚いた。いつの間にか私の後ろに立って同じように祖母の背中を見ていたのは、昨年私を助けてくれたあの人だった。
「なんで、」
「君のお祖母様とあのこわ~いモノのお蔭でこの部屋は力に溢れていてね」
「力?」
「そんなことより、あれが何か分かるかい?」
「あれって、あの帯留めのこと?」
「そう。あれは怖いねえ……人間は恐ろしいことをする」
そう言いながらすっと目を細めた男の視線を追って箪笥の中身に目をやると、祖母の身体に重なるようにして髪の長い女性が佇み鬼のような形相で祖母の腕を掴んでいる。
「お祖母ちゃ、」
「呪詛に毒、身を害さんと欲さる者」
祖母に声をかけた私の口を黒い手袋をはめた手が塞ぐ。不満を込めて頭上の男に目をやると、男は黙って空いた方の手で目の前を指差した。
「……!」
女が、祖母の腕を掴んでいた女が、私の目の前に浮遊しこちらを睨み付けている。悪意に満ちた空気と強い恨みの念に思わず数歩後退ると、男は大丈夫だとでもいう風に私の口を塞いだまま頭を撫でた。
ギロリと私を睨み付ける女。しかし暫くすると、何故か女はキョロキョロと部屋中を見渡し始めた。その様子からすると、どうやらあの女には私のことが見えていないらしい。それはこの男の仕業なのだろうかともう一度頭上に目をやると、金色の瞳がパチリとウインクをした。
「左近の桃、右近の橘。全てを断ち切りかへり給へや」
祖母のその言葉で、キョロキョロと私を探していた女の身体が金縛りにでもあったかのように空中で動きを止める。
「急々如律令」
静かな声が部屋に響く。その瞬間、消し飛ぶように消える女の姿。どうやら無事にお祓いが済んだようだった。
「お祖母ちゃん」
「あれ、あんたおったんか」
「何言うてんのずっと後ろにおったよ」
「てっきり途中で……」
そこで言葉を切ると、私の後ろを睨んだ祖母。不思議に思って振り返ってみても、私には男の姿は再び見えなくなっていて何が起こっているのか見当もつかない。
「守ってもろたんは感謝しますけど、うちの孫どうこうしよういうなら許さしまへん」
「お祖母ちゃ、」
「アンタもアンタや。あん人は神様や言うたやろ。心許したら連れて行かれるえ」
「でも、」
「でもやあらへん。人間として生きたいんやったら線引きせなあかんていつも言うてるやろ」
「……はい」
あの人はそんなに悪い神様なんだろうか。二度も助けられているのだから私に害意はないと思うのだけれど。祖母の前でそんなことを言えるはずもなく、私はコクコクと頷き鞄の中に脇差を仕舞いこんだ。
結局あの帯留めにくっついていた女は何だったのかというと、どうやら霊は霊でも生霊の類らしかった。
華道家としての実力と人気を恨んだ依頼主の女性の母の教え子――それも一番弟子の女性が贈った帯留めに、その恨みや妬みが集まり人の形をとって害をなしていたそうだ。
依頼主の母親が急に体調を崩し命を落としたのも、依頼主自身がこのところ体調不良に頭を悩ませていたのも、全てあの帯留めが家にあったせい。それを愛娘に伝えるため現れたのが、友禅から伸びる白い腕だった。その証拠にお祓いを済ませ、帯留めを焼いたその日からぱったりあの腕は現れなくなったらしい。
「教室を再開するときにはこの友禅を着ようと思います」祖母の話を聞いた女性は、涙を浮かべて着物を撫でながらそう言っていた。
人の念とは恐ろしいものだ。しかし、人を呪わば……という言葉は嘘では無いようで、帯留めを送った一番弟子の女はお祓いの三日後に原因不明の高熱で命を落としたらしい。
祖母からその話を聞きながら、私は目を細めて「人間は恐ろしいことをする」と言ったあの男の金色の瞳を思い出して、「そう言う彼はやっぱり「人間」ではないのだなあ」とぼんやり思いながら、依頼主からもらったデイジーの花弁を指先でつついた。
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